豆菓子屋の三代目の嫁ひとりごとブログVOL.1

豆菓子屋の嫁はなんでも屋さんです

楽豆屋ブログで初めて ひとりごとブログ

豆菓子屋の三代目の嫁は、実はアメブロをひとりごとブログとして更新していました。あんな事や、こんな事を(笑) しかし楽豆屋ブログが忙しくなり中々書けなくなったのと、なんだろな~愚痴が無くなったんです。いや、アメブロのひとりごとブログが愚痴だらけってわけじゃないんですがね!家族の事なんかもたくさん書いてきましたが、娘たちも大きくなっちゃって、ネタがないね~って(笑)。でも思うことは色々ありますので、そうだもうここで書いてしまおう!そしてこんなオフィシャルなところで書いてはいけないことは、続きはアメブロにとしてみてもいいかもしれないと思いまして。

株式会社冨士屋製菓本舗の三代目の嫁として1995年10月に嫁いできました。右も左も全く分からない私は、大好きな豆菓子を頼りに、いや違いますね大好きな主人(社長)を頼りに、工場に入り頑張るわけです。私にあったことのある方はわかると思うのですが、結構最初は人見知りをします。しかし打ち解けだすとこれがまたどうなん?ってなるほど打ち解けるんです(笑)。当時古くから働いてくれていたパートさん達に厳しく可愛がられ(笑)、工場で豆菓子の包装をする仕事が楽しくて、楽しくてなんぼでも働くわけです。そりゃ~夜中でも一人で平気で工場に残って働いてました。子供ができたり、家族で色々あったり(これは大きな声で言えません)、仕事がめっちゃ大変になったり、販売員になったり、サイト作ったり、カメラいじったり、営業に行ったり、企画をしてみたりそりゃもうなんだろよくここまでいろいろして、超えてこれたなと、今は思います。

ってことで、そんなこんなの私ですがやっぱり豆菓子が大好きいや…主人が大好き?…が気が向いたら書かせて頂く、豆菓子屋の三代目の嫁のひとりごとブログのスタートです。

東北の震災から10年

震災の時にお世話になったあの方へ

以前にも書かせていただきました。【2011年(平成23年)3月10日の豆菓子屋 冨士屋製菓本舗】ボランティア活動をされている方と繋いでくださった、楽豆屋のお客様、和子さん。
メールやお電話では何度もやり取りをしていたのに、結局お目にかかれることができなかった。
先日、お仕事で仙台に出張で行かせていただき、私が仙台に行くことは中々ないので、和子さんのご主人に連絡をさせていただくと、「是非来てください、お待ちしています」とのご返事、こんな時期だからご遠慮した方が良いのかもと思ったのですが、いてもたってもいられなかった。ご霊前で初めましてという気持ちにはならず、ず~っとお目にかかっていた気がしました。「やっと会えましたね」のご主人の言葉に、本当にありがとうございましたの気持ちでいっぱいになりました。

六瓢豆とお花を御供

宮城県へ社長は3度目の訪問

素敵なご夫妻の素敵なそのお宅は、訪問される方が多いようで、訪問記帳?のように皆さんが一言ずつ残されていました。もちろん主人の2011年11月、2014年6月の時の物も残っていました。人との繋がりをものすごく大切にされているのがよくわかりました、だから出会えたんだなと。私もこんな風になりたいです。

楽しい訪問記帳

震災のあの日、あの日の事を私が想像しても体験したことの中での想像なので、どうしてもわからない事が沢山あります。NHKの朝ドラが大好きな私が「おかえりモネ」を観ながら今日は泣いてしまいました。ドラマですがこんなにも若い子たちも色々と抱えているんだなって、幸せに来た者たちが何も言う資格はないって思ってしまっていたけれど、違うなそうじゃないもっと寄り添っていけるはず。知らないで済ますのではなく、知ること。震災などだけでなく人にはそれぞれ辛い思いがあるんですもんね。それを全て理解するなんて不可能だから、私は寄り添いたいなとドラマを見ても、宮城県の山元町の震災遺構中浜小学校を見学させていただいても思いました。
今日は9月1日、関東大震災の日です。そんな日にこのブログを書かせて頂けて良かったです。
何かに気付けたら、また前に進めると前向きなのが私の取り柄だと思っています。今日はいろ~~んな事に気付き悲しんだり喜んだりしました。また明日を楽しみに寝ます♪
  
冨士屋製菓本舗3代目の嫁 北野雅江

この記事を書いた人

3代目の嫁

豆菓子が世界一大好きな豆菓子屋の三代目の嫁、毎日豆菓子が食べれてとっても幸せ