豆菓子屋のルーキー職人のおはなし

冨士屋製菓本舗は25年ぶりに職人を増やしました

ルーキーを迎えて早一年!

ルーキーは時々「旅豆倶楽部」を書いてくれている電車大好きな「鉄ちゃんです」
彼の電車旅行の話を聞くと私はウキウキします♪
「電車で旅行した~い♪」いつも言うてます。
彼を冨士屋製菓本舗の職人として来てほしいとハンティングしたのはこんな理由からです
・人との関りが上手
・明るい
・なんでもやってみようとする前向きな気持ち
・しんどがらない
・人の話をよく聞く
・家族を大切にしている
・社長と仲良し
・社長夫婦の間を取り持ってくれる(笑)
・プロ野球のパ・リーグファン(笑)
などなどです。

ルーキー職人が全て自分で作った豆菓子


25年も職人を新しく雇わなかった理由

108年前、大正2年に創業以来豆菓子屋として色々な方や会社さんに製造方法を教える「冨士屋学校」と呼ばれてきました。近年は豆菓子を作りたい!なんて方は中々いらっしゃいませんが、画像左端のお爺さんが、先々代の北野留三郎さんで現社長の祖父にあたります。先代も先々代も惜しみなく製造方法を教え、弊社の豆菓子を超える?豆菓子が世の中に増えたのかもしれません。

100年を迎えたころから、豆菓子の職人を増やす、増やさないの話し合いが続きました。経営も大変だしこのまま小さく小さくして夫婦だけでする?なんて話にいつもなっていたんです。




先々代の頃、豆菓子は作れば作るほど売れたそうです

ルーキー職人を迎える決断

しかし、通販が伸びだしたことから問屋さんを通じてのお商売が、お客様に直接販売できるようになり、豆菓子の種類も楽しく増やすことができるようになりました。

そうなると、前から思っていた「この子が弊社にいてくれたらな~」の想像が膨らみ、会社の動き方が変わり始めました。
豆菓子をどんなふうに作り、どんなふうに販売するのか、どんなスタッフが必要なのか、会社に体力はあるんだろうか、いやなせば成るんじゃないだろうか?小さな町工場の悩みはその人の人生に責任が持てるように頑張れるんだろうか、頑張る!そう覚悟しよう。どこの会社さんもそうだお思います。経営者は責任を背負わなければいけないので、覚悟が必要なんです。
でも、それだけの人物に出会えたってところも強いですね。
(褒めすぎたかな?)( ´艸`)


ルーキー職人は最近粉がけもできるようになったんです

ルーキー職人が作った「のこり福豆」

粉がけもできるようになったんで、今回あるお題を出してみたんですよ。
「節分の助六豆を永遠に食べ続ける豆菓子に生まれ変わらせて」ってね( ´艸`)
全て任せるからやってみてって言ったら、「楽しそう、案もあります」って!こういうのがいいよね~♪
出来上がった豆菓子は、試作段階からパートさん達に大好評で、試作品はみんなで分け分けして持って帰るように言うと「ヤッター!!」と大喜び。
そして仕上がったんです。映えない豆菓子ですが永遠に食べられる(*´з`)
ルーキーが作った胡椒塩味の豆菓子「のこり福豆」5袋セット

【ルーキーが作った胡椒塩味の豆菓子「のこり福豆」】

豆菓子のできはどうだったか?

赤丸をご注目!
そうです、そう簡単にはいかないんですよね~( ´艸`)
でも合格点です。めっちゃ美味しいので!

ルーキー職人が頑張って動いてくれて美味しい豆菓子ができた事

通常は、25年前に新人で入ってきてくれた職人さんと、社長が色々考えて豆菓子を作ります。味付けの事などは、ほぼ社長が考えます
今回、節分の助六豆(福豆)のリメイクだったので、ルーキー職人君に頑張ってもらってよかったと本当に思いました。
私の娘も就職活動中です、雇う側の気持ちばかりを伝えてしまってうるさがられるのですが、要するに「一緒に働きたい」と思わせるキラッと光るものは、経験とその人の人生観が作り上げてると思うんです。それが会社側とピタっと合った時に良いお話になります。

今回色々と考えてきたことを、今までしてこなかったプレスリリース(企業なのが新商品など何か世間に伝えたいことが出た時に、マスコミにお知らせする手立てです)に書いてみました。私が必至のパッチで…(笑)。色~んな思いも込めましたので、良かったらご一読くださいね。
               
いつも最後までお読みいただきましてありがとうございます♪ 豆菓子屋の3代目の嫁より 感謝

この記事を書いた人

3代目の嫁

豆菓子が世界一大好きな豆菓子屋の三代目の嫁、毎日豆菓子が食べれてとっても幸せ