3代目社長のホークス日記vol.1

 冨士屋製菓本舗の3代目(現社長)の北野登己郎(とみお)と申します。 

今回、初めてブログに挑戦することになりました。 と言うことで、何から書こうか悩みましたが、まずは書きやすネタからということで、自分の好きなことを書きたいと思います。 それは、野球観戦、プロ野球の応援です

私、北野登己郎は、自分でも自認するパリーグの「福岡ソフトバンクホークス」を熱烈応援しています。
どれぐらい好きかと言うと会社の応接間を、私物化して、ホークス関係のサイン、サインボール、ユニフォーム、パンフレット、スポーツ新聞の切り抜きなんかを、ところ狭しと飾っています。 こんな感じです。

こんな感じですが、まだまだタオルや人形、応援グッズなども飾っているんですが・・。

例えば、弊社へ初めて来られた方は、野球を少しでも知ってる人は、
「野球お好きなんですか? しかもソフトバンクのファンなんですか?」と聞いてこられます。

その時すかさず「そうなんです、福岡ソフトバンクホークスを熱例応援しているんです。」

「あれっ? 阪神タイガースじゃないんです?」 ほぼ全ての人がこのように聞き返してこられます。

大阪の野球ファン=タイガース・ファンと決めつけているんですね。

「何故? 福岡のチームを応援してるんですか?」 

「ホークスが福岡へ移転する前の、大阪の南海ホークス時代から応援しているんで、もう40年以上なんです。」
その答えで、皆さんはほぼ納得してくれるみたいです。

そのあとは、仕事の話をそっちのけで、延々と野球の話し、私のお宝自慢が始まります。
応接間の外で、その会話を聞いている妻や事務員さんは「また、始まった」と思っているでしょうが・・。

世間ではよく”筋金入りの○○”という表現をすることがありますが、正しく40年以上筋金入りのホークスファンを自認しています。

その筋金の始まりはと言うと、弊社冨士屋製菓本舗の二代目社長、私の父の北野啓史(きたのけいし)が大のホークスファン
南海ファンだったからです。 亡父がどのようなきっかけでホークスファンになったかは、定かではありませんが、当時南海電車沿線に住んでいて(今も会社、自宅がある場所です。)、父の青春時代は、南海ホークスがパリーグを代表する強豪チームで、常に巨人と日本一を争う大阪を代表するチームだったからだと思います。 そして、ホークスの本拠地の大阪球場(南海難波駅の横、現在のなんばパークスのところ)まで、電車で1本、30分と言う近さもあったので、ほぼ、毎試合のように球場に通っていたようです。
小学生時代のとみお少年も、よく父に連れられて大阪球場に行きました、しかしながら、僕が南海ホークスを応援し始めたころには、往年のホークスの強さにも限りがみえて、すでに強豪チームは阪急や近鉄に移っていました。 
そして、中学生、高校生、大学生になって、たまに野球に行くと、いつも球場はガラガラのいわゆる、閑古鳥状態でした。

そして、ついに大学4年生の時に、あまりに弱く、お客も少ない南海ホークスを、南海電鉄は球団経営を諦め、時の流通業界の雄、ダイエーに売却となり、チーム自体も大阪を離れて、福岡へ移転して行きました。
それと共に、僕の応援熱も急速に冷めて、ほとんど野球に興味を無くてしまいました。

ホークスが福岡へ移転して以来、30年以上、そして、チームの親会社もダイエーからITの雄、ソフトバンクに替わりましたが、
自分の応援人生も紆余曲折を経て、ここ10年ぐらいは、ホークス愛も復活し、今では、年間約20試合ほど、大阪の京セラドームを中心に応援に行き、福岡遠征や他球場まで応援に行くほどになってしまいました。
これも、かつての弱小ホークスが信じれれないくらい、常に優勝を争う常勝チーム、そして、ここ3年間は日本シリーズ3連覇中という球界の代表チームになったのが大きいですが、やはり、僕の中には、2011年に他界した2代目社長の父のホークス愛遺伝子が色濃く受け継がれているだと思います。

3代目社長のこんな姿ですが…

それでは、次回からは、私のホークス愛あふれる観戦日記、エールブログをご紹介したいと思います。
初めてのブログでうまく書けませんでしたが、最後までお読み頂いてありがとうございます。
次回以降もよろしくお願いします。

2019年日本シリーズ優勝の際道頓堀の「あぶさん」にて


この記事を書いた人

豆菓子屋の3代目の社長

豆菓子屋の3代目にして、無類の野球好き、主に地元の京セラドーム大阪で、福岡ソフトバンクホークス戦を熱烈観戦